神菜のノート。映画「青い春」
10年弱前の日記(日記と呼んでいいのか……?)を見ていたら、大好きな映画を初めて見たときの感想のような、まさに乱文乱筆というにふさわしい文字の羅列があったので、ここに紹介したい。恥ずかしいけど、若かりし頃の自分がいとおしくもあったので。
松田龍平さん主演の、「青い春」という映画についてです。
(散歩中はいつも徒歩1分のドトールでコーヒーを買います。)
以下、神菜のノート(笑)から引用。
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こんなはかない終わり方の映画を私は他に知りません。青春とは、痛みと苦しさを伴うものだね。青木は手を叩いた数だけ幸せになりたかったのだ、九条と共にある青春を、いずれ終わってしまったとしてもその一瞬は永遠の結びつきだと信じていたかったのだ。なんでかなあ、彼らがこんな方法でしか青春の苛立ちから逃れられなかったのは。憂さ晴らしの毎日から飛び立つことを、屋上の柵に手をかけないと体感できなかったのは。
足りてはいない、でもじゃあ他になにが欲しいのか、それはわからない。手の中のものを捨ててから、改めて手を伸ばすべき先がどこかわからない。行き着きたい先がわからない。ただ漠然と幸せであればいいと思うけどその明確な形はわからない。わからないことだらけだ。
私は活字の織り成す物語のその先に明確ななにかが見たいだけ。
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当時の私は映画を通して自分の内側を見つめ、いったいなにを考えていたんでしょう。「青い春」はその後、何度か観ているけど、九条と青木の結びつきについて特別なにかを感じたことはなかったように思う。私が大人になってしまったからかもしれない。でも思い出せそうな感覚はある、ような気がするから、できたら取り戻したいのだけど。
だらだらとどうでもいいことを書きましたが、そんなわけで(?)あれは間違いなく最高の映画です。だって主題歌がミッシェルガンエレファントだし。