夏目漱石「こころ」
同じ一冊の本でも、再読して感じ方が変わることってよくあると思います。特に私は好きな本を何度も繰り返して読むタイプなので、そのたびに違った感想を胸に抱いたりする。
夏目漱石「こころ」は過去に二度読んでいました。初めて読んだときから「好きだなあ」と思ってはいたものの、三度目の今回、好きがさらに増してしまい、もはや感情が昂りすぎて胸が苦しい。油断すると「あああああ!」と頭を抱えたくなるほど。これ、あと一週間くらいは続きそうです……。
(毎年、町のどこかでヒメツバキが咲くのを楽しみに生きてる。)
作中で先生は私に、恋は罪悪であると言いました。
その通り、この世界でもっとも不条理なものが恋なのかもしれない。
私から向けられる執着のようなものを、先生はいつか恋に上る階段だと諭し、私はその言葉に対して思い当たるものがないと答えた。
それでも遠く離れた土地から、東京にいる先生のことをどうしても考えずにはいられない私が切なくて、こみ上げてくるものがある。
以下、引用が続きますのでネタバレ注意です。
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先生の多くはまだ私に解っていなかった。話すと約束されたその人の過去もまだ聞く機会を得ずにいた。要するに先生は私にとって薄暗かった。私はぜひともそこを通り越して、明るい所まで行かなければ気が済まなかった。先生と関係の絶えるのは私にとって大いな苦痛であった。
(◇引用)
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「この手紙があなたの手に落ちる頃には、私はもうこの世にはいないでしょう。とくに死んでいるでしょう」
(中略)
その時私の知ろうとするのは、ただ先生の安否だけであった。先生の過去、かつて先生が私に話そうと約束した薄暗いその過去、そんなものは私にとって、全く無用であった。
(◇引用)
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先生の遺書を受け取った私は、死の近い病床の父を置いて、無我夢中で東京に戻るのです。ただ先生の安否を知るそのために。
私は間に合ったのだろうか。世を儚み、自分を憎み、たったひとりで消えようとしている先生のさびしさに、寄り添ってあげることができたのだろうか。
そしてむかし、起きているか、と深夜に尋ねたKも、遺書を書いたときの先生と同じように、暗闇の中に自分の生と死を見ていたのだろうか。
答えなど出ないのに、考えずにはいられない。
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九月になったらまたあなたに会おうと約束した私は、嘘を吐いたのではありません。全く会う気でいたのです。秋が去って、冬が来て、その冬が尽きても、きっと会うつもりでいたのです。
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恋は罪悪であり、そうして神聖なものであると先生は言いました。
罪悪だが神聖、ではないところがいい。
一見結びつかないように思われるそのふたつは、実はまったく矛盾なく並び立つ。
歳を重ねた私がそのことに気がついたから、いまこんなに感動しているのかもしれません。