神菜の本棚

日常の裂け目。

拝啓 親愛なる江戸川乱歩様

 

 

拝啓 親愛なる江戸川乱歩
あなたの物語の中で、退屈なパレードを憎みながらも
実は憧れた影男達は
犯罪という猟奇の果てに死んでいきました
彼らほどに勇気のない僕は、
退屈なパレードの一員になろうと思っています
あなたはボクを軽蔑しますか?
それでも
パレードの日、影男を秘かに消せ!

(◇引用)

 

 

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(先日帰省したときのニャンコ)

 

 

最近は江戸川乱歩作品をひたすら再読しています。本当に、私の人生と共にある。

直近だと「パノラマ島奇譚」と「影男」を再読しました。

 

子供の頃、乱歩作品やその他の文学の鬱々とした闇に心を慰められながら、この世界観にもっともっと耽溺したいと願っていた。

 

そんな私はやがて、ロックバンド「筋肉少女帯」「犬神サーカス団」「人間椅子」などと、運命の出会いを果たすのです。(よく聞かれますが20代です笑)

 

音楽として、自分の心の闇がここに具現化されたと思った。数多のロックバンドに出会っていなかったら、私はもうとっくにこの世にはいなかったような気がする。大好き。音楽も文学も。

 

 

スモックを着ていた頃から
心に影男が住んでいた
気づかれぬよう背中ごしに
秘かに消せ! パレードの中

(◇引用/筋肉少女帯/パレードの日、影男を秘かに消せ!)

 

 

大槻ケンヂ氏の歌う影男は、自分の心の中に存在するもうひとりの自分なのかもしれない。

乱歩作品の中に出てくる影男たちは、退屈なパレードを憎み、しかしどこかでは憧れながら、その一員になることができずに犯罪の中を生きている。

 

「ボク」は自分の中にいる影男と、僕たちも彼らのように退屈を憎もうと語り合っていたのに、いつしかパレードの中で笑っている自分に気がついてしまう。

 

そして影男を裏切り、自分はその退屈で幸せな集団の一員になることを決意する。影男の背後からオノを打ち下ろす、ついに決別のときがきたのだ。

 

この曲を聴くと、訪れた運命の瞬間にいつも心が揺さぶられる。大槻ケンヂ氏の表現する影男というのは、必ずしも犯罪とは結びつかないような気がする。それは才能や可能性、あらゆる普遍を憎む特別な自分でもあるかもしれない。

 

なんて、勝手な解釈ですが……

希望を抱いた自分を殺し、平凡の中に身を委ねる。そんな一瞬を表現しているようにも思われるのです。あくまで私にはね。

 

私は影男と共に、パレードを憎みながらまだ生きていきたい気持ち。花咲ける20代の厨二病代表!