母からのLINE。
仕事が終わってiPhoneの画面を見たら、実家の母からLINEが来ていました。
見ていたドラマに出て来た言葉に感動した!という内容。
その言葉とは……
「他人と過去は変えられないが自分と未来は変えられる」
(バレンタインに祖母がくれたハート型のチョコレート。かわいい。)
調べてみたら、元はカナダの精神科医であり心理学者であるエリック・バーン氏の名言だそうです。検索したら出てきたので引用します。
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他人と過去は変えられないが自分と未来は変えられる。今、この時を認識すればよい。過去や未来を生きる必要はない。勝者とは世界と自分との契約を果たす者だ。
(引用/エリック・バーン)
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じーん。心に響いた。そして、言葉に感銘を受け、それを共有してくれる母のことも我が親ながらいいなあと思う。そういう年の重ね方をしたい。いつまでも気づきを忘れたくない。
ちなみに母は、「まるでお告げのように心に入ってきた。こんなのはセカオワの歌詞以来だ」というようなことも言っていました。セカオワの歌詞ってなんのことだっけ……?と思い返して見ると、そういえば七年前にSEKAI NO OWARI「Dragon Night」が発売されたときも、母は同じようなことを言っていたのでした。
そのとき感動していたフレーズはこちら。
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人はそれぞれ「正義」があって、争い合うのは仕方ないのかも知れない
だけど僕の嫌いな「彼」も彼なりの理由があるとおもうんだ
(中略)
人はそれぞれ「正義」があって、争い合うのは仕方ないのかも知れない
だけど僕の「正義」がきっと彼を傷付けていたんだね
(引用/Dragon Night/ SEKAI NO OWARI)
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同じ頃、お寺の掲示板などにも貼られて話題になっていたそうです。有名なフレーズですね。母、素敵な言葉に七年ぶりに出会えて本当に嬉しそう。よかった。
言葉って素晴らしい。それだけで救われたり、生きるのが楽しくなったり、慰められたりする。その逆もあるので、慎重に使わないといけないとも思うけども。言葉との出会いは、まさに運命だよね。
三月を終えて。
三月は仕事が繁忙期だったこともあり、とっても濃い一ヶ月になりました。なんとか乗り越えた感じがする。時間がなくて心のままに本を読むことができなかったので、四月は好きな本を自由に読みたい所存……!
(お友達が作ってくれたピアスを見て欲しい。もう三年くらい愛用してます。キラキラしてて本当に可愛い……!)
ツイッターにも書いているけど、三月に読んだ本をまとめる。
敬称略で失礼します。
・かか/宇佐見りん
・ハシビロコウ/千葉動物公園
・王国/中村文則
・あおい/西加奈子
・リアルフェイス/知念実希人
・遺書/松本人志
・悪魔の紋章/江戸川乱歩
・こころ/夏目漱石
やたらと上下ものを読んだ月。おすすめしていただいたものだったり、自分がものすごく読みたかったものだったり、好きで再読したものだったり……
どれも本当によかったな。心に残る作品が多かった印象。
私にとって読書をすることは呼吸をすることと変わらない。だから、読めないとか、読みたくないとか、そういうことって人生で一回もなかったと思う。忙しくて時間が少なくなる、とか、その逆は無論あるけど。
死ぬまでにもっともっとたくさんの素敵な本と出会いたいなあ。
どうせこの世界に存在するすべての本を読むことなんて不可能なんだから、一冊一冊との出会いを大切に生きていきたい。
それから四月はコロナに気をつけながらお花見をしたいし、羊毛フェルトをやってみたいし、アクセサリーも作りたい。撮りためている推しのDVDも観たい。欲ばかり。
楽しみなこといっぱい!!
夏目漱石「こころ」
同じ一冊の本でも、再読して感じ方が変わることってよくあると思います。特に私は好きな本を何度も繰り返して読むタイプなので、そのたびに違った感想を胸に抱いたりする。
夏目漱石「こころ」は過去に二度読んでいました。初めて読んだときから「好きだなあ」と思ってはいたものの、三度目の今回、好きがさらに増してしまい、もはや感情が昂りすぎて胸が苦しい。油断すると「あああああ!」と頭を抱えたくなるほど。これ、あと一週間くらいは続きそうです……。
(毎年、町のどこかでヒメツバキが咲くのを楽しみに生きてる。)
作中で先生は私に、恋は罪悪であると言いました。
その通り、この世界でもっとも不条理なものが恋なのかもしれない。
私から向けられる執着のようなものを、先生はいつか恋に上る階段だと諭し、私はその言葉に対して思い当たるものがないと答えた。
それでも遠く離れた土地から、東京にいる先生のことをどうしても考えずにはいられない私が切なくて、こみ上げてくるものがある。
以下、引用が続きますのでネタバレ注意です。
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先生の多くはまだ私に解っていなかった。話すと約束されたその人の過去もまだ聞く機会を得ずにいた。要するに先生は私にとって薄暗かった。私はぜひともそこを通り越して、明るい所まで行かなければ気が済まなかった。先生と関係の絶えるのは私にとって大いな苦痛であった。
(◇引用)
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「この手紙があなたの手に落ちる頃には、私はもうこの世にはいないでしょう。とくに死んでいるでしょう」
(中略)
その時私の知ろうとするのは、ただ先生の安否だけであった。先生の過去、かつて先生が私に話そうと約束した薄暗いその過去、そんなものは私にとって、全く無用であった。
(◇引用)
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先生の遺書を受け取った私は、死の近い病床の父を置いて、無我夢中で東京に戻るのです。ただ先生の安否を知るそのために。
私は間に合ったのだろうか。世を儚み、自分を憎み、たったひとりで消えようとしている先生のさびしさに、寄り添ってあげることができたのだろうか。
そしてむかし、起きているか、と深夜に尋ねたKも、遺書を書いたときの先生と同じように、暗闇の中に自分の生と死を見ていたのだろうか。
答えなど出ないのに、考えずにはいられない。
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九月になったらまたあなたに会おうと約束した私は、嘘を吐いたのではありません。全く会う気でいたのです。秋が去って、冬が来て、その冬が尽きても、きっと会うつもりでいたのです。
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恋は罪悪であり、そうして神聖なものであると先生は言いました。
罪悪だが神聖、ではないところがいい。
一見結びつかないように思われるそのふたつは、実はまったく矛盾なく並び立つ。
歳を重ねた私がそのことに気がついたから、いまこんなに感動しているのかもしれません。
神菜のノート。映画「青い春」
10年弱前の日記(日記と呼んでいいのか……?)を見ていたら、大好きな映画を初めて見たときの感想のような、まさに乱文乱筆というにふさわしい文字の羅列があったので、ここに紹介したい。恥ずかしいけど、若かりし頃の自分がいとおしくもあったので。
松田龍平さん主演の、「青い春」という映画についてです。
(散歩中はいつも徒歩1分のドトールでコーヒーを買います。)
以下、神菜のノート(笑)から引用。
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こんなはかない終わり方の映画を私は他に知りません。青春とは、痛みと苦しさを伴うものだね。青木は手を叩いた数だけ幸せになりたかったのだ、九条と共にある青春を、いずれ終わってしまったとしてもその一瞬は永遠の結びつきだと信じていたかったのだ。なんでかなあ、彼らがこんな方法でしか青春の苛立ちから逃れられなかったのは。憂さ晴らしの毎日から飛び立つことを、屋上の柵に手をかけないと体感できなかったのは。
足りてはいない、でもじゃあ他になにが欲しいのか、それはわからない。手の中のものを捨ててから、改めて手を伸ばすべき先がどこかわからない。行き着きたい先がわからない。ただ漠然と幸せであればいいと思うけどその明確な形はわからない。わからないことだらけだ。
私は活字の織り成す物語のその先に明確ななにかが見たいだけ。
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当時の私は映画を通して自分の内側を見つめ、いったいなにを考えていたんでしょう。「青い春」はその後、何度か観ているけど、九条と青木の結びつきについて特別なにかを感じたことはなかったように思う。私が大人になってしまったからかもしれない。でも思い出せそうな感覚はある、ような気がするから、できたら取り戻したいのだけど。
だらだらとどうでもいいことを書きましたが、そんなわけで(?)あれは間違いなく最高の映画です。だって主題歌がミッシェルガンエレファントだし。
山田かまち「山田かまちのノート上・下」
今日は天気が良かったのでお散歩をしながら、タイトルにある「山田かまちのノート」の下巻を読了しました。上巻は数日前に読了。春の陽気に、彼の書き遺した言葉の羅列はいっそうその輝きと鋭さを増し、私の心に迫って来ました。
(水仙が綺麗だね。)
まず山田かまちという人物について簡単にご紹介。
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山田 かまち(やまだ かまち、1960年(昭和35年)7月21日 - 1977年(昭和52年)8月10日)は、死後に遺作となった詩や絵画が発見され、それらを収めた『悩みはイバラのようにふりそそぐ : 山田かまち詩画集』(1992年)がきっかけで世に広く知られるようになった人物。
【wikipediaより引用】
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私が彼の存在を知ったのは2012年のことです。
お笑い芸人・白鳥久美子さんの著書「処女芸人」の中に、山田かまちさんについて書かれた章がありました。
(ちなみに私は白鳥久美子さんが好きで、テレビを見たり、ブログをいつも楽しみに読んだりしています。この本が発売されたときも、発売日に書店で購入してすぐに読みました!)
以下、「処女芸人」から引用。
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恋はするもんじゃない。落ちるものだ。
久美子は恋に落ちました。
中学校で身につけた処世術の一つ、「恋はしない」にのっとって生きてきましたが、そうだ、恋はするもんじゃない、いつの間にか落ちてしまうものだった。
久美子が恋に落ちた相手は「山田かまち」でした。
(引用/扶桑社/白鳥久美子/処女芸人)
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久美子さんが好きになった山田かまちさんっていったいどんな人なんだろう。
そう思ってこの本を手に取りました。長らく積んでしまいましたが、今はただ「もっと早く読んでおけば良かった」という気持ちでいっぱいです。
詩、ピアノ、絵、ロック。山田かまちさんはあらゆる才能に恵まれた少年でした。彼は生前18冊のノートに自らの内面の葛藤を写し取っていて、この2冊の書籍は、それらを後にまとめたものです。
彼のはじけるような苦悩は瑞々しく、無邪気さはまるで透き通るようでした。屈折しているのに、彼の言葉は受け取る人間の心にまっすぐ届く。私は時間を忘れ夢中になって読みました。ページをめくる手がどんどん早くなっていき、いつの間にか自分がかまちさんの一部になって、その濃くて短い青春を垣間見たような気がしたほどです。
ページいっぱいに繰り返し描かれた好きな女の子の名前。夢に向かって邁進する力強い言葉。そうかと思えば、なにもかも諦めて投げ出してしまったような憂い、持て余した恋が愛に変わる尊い一瞬。誰もが共感してしまうような、それでいてかまちさん以外の誰も触れることができないような、繊細でアンバランスな世界が細かく切り取られて、そのノートの中に表現されていたのです。
私の好きな詩の一部を引用します。
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枯葉が、 きょうも ソプラノの響きのように、宇宙へ飛んでゆく。
車庫の中から町が見え、コーヒーのような真っ青な空から星がひとつぬけ出る
きらめいて落ちて、消えてしまうような、色彩の輝きがこちらをみつめている。
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同じく若き日の白鳥久美子さんが恋に落ちてしまうのも納得。彼は少年でありながらすでに立派な芸術家だったのですね……。
関連書籍をもっと読もう、山田かまち美術館にも行こう。そう思いました。
山田かまちさんは十七歳のとき、エレキギターの練習中に起きた事故で、お亡くなりになりました。
彼が見た「コーヒーのような真っ青な空」がどんなふうだったのか、想像せずにはいられません。
初ブログ。江戸川乱歩「人間椅子」
初めまして。神菜です。
読書好きが高じて読書ブログを始めてみました。
主に読んだ本の感想や覚え書き、日常についてなどを書いていこうと思っています。
記念すべき初更新ですが、今回書くのは再読した江戸川乱歩「人間椅子」について。
春陽堂の文庫本で、以下のタイトルが収録されています。
・人間椅子
・お勢登場
・毒草
・双生児
・夢遊病者の死
・灰神楽
・木馬は廻る
・指輪
・幽霊
・人でなしの恋
(セリアの猫マグカップかわいい。)
それぞれの短編がどんなものかネタバレ回避しつつまとめます。
・人間椅子
→椅子の中に住む男の独白。そこに座る女性にいつしか恋慕の情を抱くようになり……。
・お勢登場
→子供とかくれんぼをしているうち、誤って長持の中に閉じ込められてしまった夫。そこへ帰宅した不倫妻・お勢のとった行動とは。
・毒草
→「簡単に堕胎できる毒草がある」という話をしている主人公とその友達。背後で偶然それを聞いていたものがいて……。
・双生児
→双子の兄を殺してなり変わった弟。万事うまくいっていたものの、たったひとつの愚行でその犯罪があきらかに。
・夢遊病者の死
→夢遊病に悩まされている主人公は、ある日、自分の父が何者かによって殺されているところを発見する。状況証拠からみるに、どうやら自分が眠っているうちに殺してしまったらしいことに気がついて……。
・灰神楽
→はずみで殺人を犯してしまった主人公は、死んだ男の弟に罪をなすりつけようと画策するが……。
・木馬は廻る
→若い娘に夢中になっていく、冴えないラッパ吹きの中年男の話。
・指輪
→汽車の中で指輪の盗難事件が起きた。その犯人とありかについて、AとBの対話形式で進む。
・幽霊
→死んだ男の幽霊に悩まされる主人公。憔悴していく中で素人探偵の明智小五郎と出会い、そのからくりの謎が解かれる。
・人でなしの恋
→夜な夜な蔵にこもる夫に、浮気を疑う妻。しかし女が出入りしている形跡はない。そんな中、蔵で美しい一体の人形を見つけ……。
※以下ネタバレを含みます※
この短編集、本当に最高だなあと思うのですが、その理由の一つとして作品の並びがとてもいい。
「人間椅子」から始まって「人でなしの恋」で終わる。
どちらも屈折した恋心が主軸となっていて(人間椅子に関しては作中の虚構ですが)、それが情緒的で怪しくも美しいんです。
殺人、盗み、狼狽、嫉妬、裏切りなどの鬱々たる要素がふんだんに散りばめられた作品を読者に堪能させ、最後は純愛小説で終わる。(私はまごうことなき純愛小説であると信じている。)
なんて耽美……。
「人でなしの恋」のラストで夫が人形と心中するシーンなどは、あまりの美しさに感嘆のため息が漏れるほど。愛する人形を妻に殺された男の末路として、それは訪れるべくして訪れた瞬間だったのでしょう。
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そこには夫のと、人形のと、二つのむくろが折り重なって、板の間は血潮の海、二人のそばに家重代の名刀が、血を啜ってころがっているのでございます。人間と土くれとの情死、それが滑稽に見えるどころか、何とも知れぬ厳粛なものが、サーッと私の胸を引しめて、声も出ず涙も出ず、ただもう茫然と、そこに立ちつくす外はないのでございました。
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江戸川乱歩作品、やっぱりいいなあ。子供の頃からずっと、一番好きな小説家なんです。
コロナ禍で当面図書館が閉鎖されるそうなので、これを機に再読祭りをしていきたいと思っています!!